すべての学問の起源

さて、学問から次に紹介するのは、教育学です。この教育学は、社会科学の中だけではなく、数ある学問の中でも非常に特殊な存在であるということが出来るでしょう。教育学とは即ち、「教育」それ自体を研究するものであると同時に、その研究成果について伝達する「教育」であり、自らもまた自らの研究対象となる存在です。日本のみならず世界には数多くの学問が存在していますが、その全てはこの教育学による研究なくしては現在のように理路整然とした存在とはならなかったでしょう。この教育学は、古代ギリシアの二大哲学者、プラトンとアリストテレスによって始まりました。この時代に於いて彼らの教育学が評価されることはありませんでしたが、後にルネッサンス期になって再び見直され、古代の教育学とは思えないほどの評価を得ることになります。学校による教育というのが、一般的になってくるのは中世以降で、その影には産業革命という存在がありました。それまでの人々の仕事といえば、それこそ日本で言う処の士農工商にあたり、軍隊、農家、工家、商家の4通りでしたが、このウチ工業のスタイルが大きく変化することになります。その変化をもたらしたのは産業革命です。産業革命によって、それまでは手作業であった工場作業が半機械化され、必要な人手が大幅に減りました。これに伴って、今までは大人と共に働いていた子供たちが、他の大人の仕事をとってしまわないようにするために、子供への勤労制限法が施行されます。こうしたとき、仕事のなくなった子供たちには、この時代やることはありません。その結果、街中にあふれたフリーな子供たちは悪戯に走り、一時的に治安は悪化してしまいました。このままではまずい、ということで設定されたのが、学校です。この時代の学校は主に教会などで行われ、子供たちを集めては、主にキリスト教の教典に関わる事についての教育が行われました。その結果、街の治安は安定することになります。この後、この学校で教えられることは段々とキリスト教だけではなく、社会を生きる上で必要な知識が含まれたものと変わって行きました。現在で言う処の小学校のように、基礎的な勉強と、社会的常識などがここで教えられることになり、教育を受けた子供たちはより自立した大人へなることとなります。そうした時、この教育をもっと上手く使うことが出来るはずだ、として登場したのがヘルバルトという教育学者でした。ヘルバルトは、今までの啓蒙としての教育を批判し、より科学的体系を成立させた教育学について論じることになります。彼は、教育が単なる体験や慣習によって行われるのではなく、科学的な根拠を持っていなければならないとして、教育学の基礎を形成しました。彼の提唱した四段階教育法は、今の教育においても利用されています。そして近代に入り、これらのヘルバルト学派による知識の伝達を主とした教育から、新たに子供の意欲に働きかけるような教育が行われます。「新教育」と呼ばれるこの動きは、既に国によって教育方法が定められている中では一般的主流とはならないものの、確かな副流として存在し続けました。日本では、主に大正時代にこれらの動きが活発化し、政府による教育の指示が絶対的ではない私立学校においては多く実践されていきます。そして、第二次世界大戦が終わった後の新体制の中で、政府から教育について定められる規定が多少緩和されたことにより、再び隆盛することになります。その結果が「ゆとり教育」であるため、一概に必ずしも良いものであると評価することはできないのかもしれませんが、より子供の人権について考えた教育論であったことは間違いないでしょう。さて、ここからはそんな教育学についてより知っておきたい5つのことについて紹介します。それは、既に少し触れた「ヘルバルト学派」について、そしてヘルバルトと同様に大教育学家であった「ペスタロッチ」、更には教育されるべき人間について述べた「エドゥカンドゥス」、人生全体を教育対象としてみなす「生涯教育」、さらには衝撃的な一論である「脱学校論」についてです。それぞれ、現代の教育学に対して多大な影響を与えたものですので、教養として如何でしょうか。

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